歴史探訪⑫西日を戻す山車の丈

 毎年11月に行われる「とちぎ秋祭り」には、2年に一度、蔵造りの街並みを舞台に、江戸・明治時代に作られた絢爛豪華(けんらんごうか)な江戸型人形山車(以下「山車」という。)が市内大通りに繰り出し曳き回される。山車が重厚な蔵を背景に巡行する様は、県庁が栃木町にあったころの往時の繁栄を今に伝えている。

 山車は、現在、市内中心部の万町一丁目、二丁目、三丁目、倭町二丁目、三丁目、室町、泉町、嘉右衛門町、大町が所有するものが計9台あり、倭町一丁目は、獅子頭を所有している。

 なかでも、倭町三丁目の静御前の山車は、かつて東京日本橋瀬戸物町・小田原町・伊勢町(現日本橋室町一丁目)が所有していたもので、江戸天下祭として有名な山王祭出御の九番山車を、坂倉重平(屋号「井筒屋」:一般公開されていた「栃木市郷土参考館」は重平の屋敷跡)や善野伊平(屋号「釜伊」:喜多川歌麿の肉筆画大作「雪月花」を明治12年に定願寺にて開催された展観に出品したとされる人物)ら倭町の豪商たちが資金を出し合って購入したものである。山車の製作年は江戸時代末期の嘉永元年(1848年)である。この山車の最大の特徴は三層構造になっており二段階のくり上げ・くり下げ装置を備えていることである。つまり高さの制限に対応できるカラクリ(二段上下可変式)になっている。これは、山王祭の際、江戸城に入って将軍家の上覧に供するための装置で、江戸城の36箇所の見付門をくぐれるように上下可変式構造にしていたのである。

東都日枝大神祭礼練込之図(国立音楽大学附属図書館所蔵)

栃木市倭町三丁目静御前山車(元江戸山王祭出御九番山車)

 栃木の山車祭りが誕生したのきっかけは、栃木町に県庁が置かれていたことに由来する。「歴史探訪⑩初代県会議事堂遺構・観明寺本堂」でも紹介したとおり、県庁敷地内には、神武天皇陵や橿原神宮のある「大和の方」に向かって遥拝する「遥拝所」(神武神社)が設置されていた。明治7年(1874年)4月に「遥拝所」が完成したことを記念して、県庁構内で「神武祭」が催された。そのとき県庁構内に繰り込まれたのが、倭町三丁目の静御前の山車と、泉町が宇都宮から購入した諫鼓鶏(かんこどり)の山車である。かつて、江戸山王祭で将軍家が上覧したように、初代栃木県令の鍋島幹が上覧したに違いない。この神武祭に2台の山車が出御(しゅつぎょ)したことが山車祭りの起源とされている。その後、山車への関心が高まり、各町内が山車や人形を競って製作するようになりさらに盛大になった。明治17年(1884年)1月の県庁移転後も、神明宮の祭典や慶事・祝賀行事等にあわせて山車が町を巡行するようになり、現在の「とちぎ秋祭り」に引き継がれていったのである。本稿のフロントページを飾る関羽雲長(かんう うんちょう)の山車は万町二丁目のもので、製作は明治26年(1893年)である。

 ちなみに、泉町の山車・諫鼓鶏は、古代中国の堯帝(ぎょうてい)が、その政治について諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるため、朝廷の門外に太鼓(諫鼓)を設けたが、良い政治が続いていたので長い間太鼓をたたく者がなく、鳥が太鼓に巣を作ったという故事に由来している。諫鼓鶏は天下泰平の象徴とされている。

 山車ではないが倭町一丁目の獅子頭は、「和合火防の獅子」(わごうひぶせのしし)と言われている。万町三丁目にある「とちぎ山車会館」前にも「火伏せの獅子」の石造がある。

 山車の詳細については、栃木市観光協会作成「とちぎ秋まつりホームページ」https://www.tochigi-kankou.or.jp/akimatsuri/dashi/をご覧いただきたい。

栃木市泉町の山車・諫鼓鶏

倭町一丁目の獅子頭

とちぎ山車会館前の「火伏の獅子」の石造

 最後に、「とちぎ山車会館」入口に向かって右手に、川柳六大家のひとりと言われ、全国的な川柳家として名を馳せた前田雀郎(まえだ じゃくろう)の句碑を紹介する。

この町へ 西日を戻す 山車の丈      雀郎

 前田雀郎は、明治30年宇都宮二荒山神社の眼下であった相生町(現馬場通り)の足袋商前田屋の長男として生まれた。この句にある「西日」とは、当時(昭和30年代ころ)の栃木市の姿を比喩的に表しているもので、太平山に沈みかけた西日の最後の光が、かつての栃木の繁栄を象徴する丈の高い山車の上部にあたる光景を、今一度の輝きを願う栃木市民の心の機微になぞらえて詠んでいる。前田の詠んだ句として有名なのが「年賀状小さな借りを思い出し」がある。栃木を詠んだ「この町へ 西日を戻す 山車の丈」も川柳特有のある種「おかしさ」を込めた名句であるが、この句に、宇都宮生まれの前田が、明治17年県庁移転の後、昭和の今もなお続けている山車巡行を見て、密やかにほくそ笑む姿を感じるのは筆者だけであろうか。

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