歴史探訪⑩初代県会議事堂遺構・観明寺本堂

 現在の栃木県庁「昭和館」内に、初代栃木県庁の敷地内を描いた図(栃木県立文書館 所蔵)が展示されている。これは、明治初期に県庁が現在の栃木市にあったころの庁舎や鍋島県令公邸、職員宿舎等の配置を示した図で、その図左上の北西角地に「二荒山遥拝所」と書かれた建築物がある。これは、日光二荒山神社を遥拝するために造られた建物で、後に神武天皇陵(奈良県橿原市)や橿原神宮に向かって遥拝する「神武神社」に改められた。その後、明治12年4月に県会が開設されると議場としても使用され、西面に向かって遥拝した後に議事を開始したという。(栃木市史986頁、石崎常蔵著「栃木町を愛した平和主義の男 栃木県第二代県令(県知事)藤川為親」2022年発行15頁)

初代栃木県庁敷地内の配置図

 初代県会議事堂とも言えるこの建物は、明治17年に県庁が宇都宮に移転されたことにより不要となったため、栃木市田村町の天台宗星光山観明寺(かんみょうじ)に移築され、現在は寺の本堂として現存しているというので、訪ねてみることにした。

 それ以前の観明寺本堂は、明治13年(1880)1月に火災により焼失したため、その再建のため、寺と檀家・信徒が奔走する中、栃木県会議事堂の払い下げの話が出た。当時の檀家総代が中心となって金80円で払い下げを受け、明治21年(1888)5月に本堂として再建されたという。

 本堂正面の向拝虹梁(ごはいこうりょう)上に、見事な「竜の彫刻」がある。その彫刻が真言宗雲龍寺(栃木市泉町)の竜の彫刻に酷似していることに驚いた。竜の表情、構図、虹梁の文様ともそっくりである。

観明寺本堂の向拝虹梁上の「竜の彫刻」

雲龍寺向拝虹梁上の「竜の彫刻」

観明寺本堂の向拝虹梁裏の文様

雲龍寺向拝虹梁裏の文様

 雲龍寺の「竜の彫刻」は、渡辺喜平治正信の作と言われている。渡辺喜平治正信は、「歴史探訪⑨江戸彫り後藤流彫刻師と田中一村」で詳しく述べたが、江戸彫り後藤流彫刻師一族の初代とされる後藤茂右衛門正綱の弟子で、2代目後藤茂衛門を継いだ渡辺喜平治正道(初代喜平治)の孫・3代目喜平治である。これまで、本町長清寺、泉町雲龍寺、新井町天満宮、下野市上吉田天満宮、小山市上泉町熊野神社、神明宮神輿などの彫刻が知られている。

 観明寺本堂の向拝彫刻の裏側には墨書銘(写真)がある。しかし、ほとんど字は読めないので、写真に撮って拡大すると、薄っすらと「邉」の文字らしきものが確認できる。そうして見ると「邉」の下の文字は「正」にも読めるが確証はない。

 この「竜の彫刻」の由来については、今後さらなる調査が必要だが、筆者の直観では、渡辺正信作の彫刻であることはほぼ間違いないだろう。ただし、彫刻が県庁の二荒山遥拝所であった当時からのものか、移築後のものかは不明だ。

 観明寺の近く、県道44号線・通称小金井街道沿いには、丸山古墳(市指定史跡)がある。直径32メートル、高さ2.5メートルの円墳で墳頂に丸山聖観世音菩薩が祀られている。

丸山古墳(古墳の東側から撮影 県道44号線の先に見える山は太平山)

 丸山古墳の石室の場所は分かっていない。しかし、北東90mの県道沿いに大イチョウで有名な星宮神社があり、その鳥居脇に大きな石が無造作に置かれており、その石が本古墳の石室の天井石だった可能性がある。

星宮神社の鳥居脇の大石

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