歴史探訪⑥天正年間草鞍戦死諸霊碑

中央にそびえる高い山が太平山 その手前下の尾根筋が激戦があったとされる草鞍山(皆川城本丸跡から撮影)
千人塚
太平山の合戦を伝えるものとして、太平山頂の北方向、皆川城方面にやや下った草鞍山(くさくらやま :「草倉山」とも書く。)の尾根にひっそりとたたずむ「天正年間草鞍戦死諸霊碑」がある。別名「千人塚」とも呼ぶ。
この碑は、二つのゴルフ場に囲まれた雑木林の山中にある。筆者は栃木特別支援学校の南西にある山道入口から約20分程の山道を登って現地にたどり着いた。

天正年間草鞍戦死諸霊碑(千人塚)
この碑は、昭和7年5月地元皆川村仏教会の8寺院と草鞍山の土地所有者2名とが発起者となって建立されたもので、「廣照十二代之孫 皆川庸一書」と、揮毫した人物の氏名が刻まれてる。
皆川氏の興亡を綴った軍記物「皆川正中録」では、「巻之三 皆川勢草倉に出張之事」として、太平山の合戦において最も熾烈を極めた「草倉山の合戦」の様子が次のように描かれている。
北条左京大夫氏直は、(中略)自ら陣頭に進み出て軍兵を励まし、山上から貝鉦鼓を打ち鳴らし、鬨の声を挙げ攻め下らせた。
それに応えて皆川の軍勢も鬨の声を挙げ、陣太鼓を激しく打ち鳴らし、屈強の射手が矢をつがえては放ち、またつがえては射放った。見渡す限りに押し並んだ精兵が槍の穂先を揃えて待ち受けるところへ敵兵がどっと押し寄せる。
互いに射る矢は斜めに降る雨の如くに飛び交い、弓弦の音は天に響いてしばらくは 鳴りやまなかった。(口語訳 小松義邦 別本 皆川正中録74ページ)
もとより「皆川正中録」は合戦を読みどころとした軍記物なので、歴史的事実とは切り離して考えるべきだが、栃木市民にとっては、この軍記物によって、「反北条」の感情が増幅され、現代にも根強く残っているといっても過言ではない。
太平山の石積み
太平山神社から太平山富士浅間頂上に向かうハイキングコースを歩いていくと、尾根筋の平地に居館跡とみられる石積を見ることができる。粗割の小石材を乱雑に積み上げたもので、比較的高いところで3mから4m(太平山中の石積み写真1)、低いところで0.5m程度(太平山中の石積み写真2)の高さがある。また近くには石切り場跡とみられる遺構もある。
富士浅間山頂部から尾根筋一帯は、戦国時代に皆川氏が築いたいわゆる太平山城の跡と言われており、石積みはその遺構の一部とも考えられているが、実際のところ、いつ、だれが、どういう意図でつくったのかは不明である。

太平山中の石積み写真1

太平山中の石積み写真2
ちなみに、江戸時代の絵師・秋山宗栄によって描かれた「野州大平山全図」(稲葉誠太郎氏蔵)というものがあるが、その絵のなかに、「太平大権現」の後ろの山に「上富士」「下富士」「天守台跡」との記載がある。「上富士」は太平山富士浅間神社のある山頂に当たり、「下富士」はおそらく、南側に開ける物見櫓跡付近と思われる。その下に「天守台跡」とあるのが、写真の石積み遺構のことを指していることは明らかである。

「野州大平山全図」(稲葉誠太郎氏蔵)
このような山中に石積をつくるにはそれ相応の理由があったはずで、最も考えられる理由としては、天正12年(1584年)の沼尻の合戦を経た後、北条氏が次なる標的とする皆川城への侵攻に備えて、皆川広照が、南の前線基地として太平山頂近くに石を積み上げて防御施設を強化したと考えるのが最も自然であろう。また、可能性としては、皆川氏が北条氏に帰属している時期(天正14年から天正18年まで)に、南方または西方から攻めてくるであろう秀吉軍との合戦に備えて、北条氏の指示のもと山頂付近を強化する目的で普請を行ったとも考えられる。
また、別の見方もある。低い石積み(写真2)がある場所は、天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)を祀る太平山神社奥宮(おくのみや)が鎮座するところであり、今は石造りの祠があるだけだが、かつて奥宮に関連する建物があった可能性もあるが、太平山神社関係者は否定している。今後、専門家による調査が待たれる。
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